この記事を書いた人
心理カウンセラー・コンサルタント 安田 未稀
18年以上活動しています。お客さまが、本当の自分=本質、魂とつながり、自分の中にある答えを見つけて自然な行動に導く個人セッションが好評
この記事でわかること
- 浮気した彼・彼女・夫・妻を許せないという気持ちはどうしたらいいのか?
- 許すにはどうしたらいいのか?
「浮気したパートナーを許せません」
浮気・不倫したパートナー(夫・妻・彼・彼女)を許せませんというお悩み、とても多いです。
私は従来から、
「無理に許そうとしなくていい」し、「許せない自分を責めなくていいのでは」とお伝えしています。
それはなぜかと言うと、
許せるものなら許したい、と思うぐらいに、相手に思いがあるから、です。
許せない自分を責める、ぐらいに、相手のことを思っているから、です。
浮気されたにも関わらず、愛情がありますよね~ということです。
そもそも「許し」ってなんでしょうか?
私、そもそも、「許し」って、なんなんだ?とずーっと思ってきたのです。
「許し」って「許可」という言葉があるように、 なんだか、上下関係のニオイがする言葉ですしねー。
だから「許し」って、コトバ。
私自身がひっかかるタイプなので、カウンセリングでも、あんまり 「許しましょう」 って言わないんですけどね・・・
だから、まずは、
(嫌だけど・・・)浮気したパートナーを理解することに努めてみる
で、いいのではないかと思います。
「なぜ浮気をしたんだろう?」って。
そこを見つめているうちに、
「だからこの人は浮気をしたんだな!」って、すこーし納得できる瞬間があれば、それだけでも軽くなる。
そして、だんだんと、諦めに似たような「まぁ仕方なかったかなー」と思える部分が出てきたり。
毎日、 丑三つ時になったら、藁人形に五寸釘を打っていたけど、その回数が減ったり。
これが許しのイメージなのですが、緩やかなものだと思うのです。「許す」の語源は「緩む」だそうですし、 この状態を目指すだけでいいと思うんです。
ある日、突然、
「あーすっきり~!なんとも思わないわ~!」と、 「ザ・解脱!」「ザ・悟り!」なんてことはないんじゃないかと。
だから、 許せないなら許せないでヨシにしましょうよ、って思うんです。
愛すること=許すこと なのか?
ところで、「許し」にそこまで悩むのか?というと、「許したいから」ですよね?
「許せないこと」がストレスだということは、本来は「許したいから」ですよね?
けれども、「許せない」ので、「許せない私を許せない」というアリ地獄な状態になります。
「愛とは許すこと」という定義もあったりするし、そういうことを書いている本もあります。
なので、「愛しているなら、許せるはず」とも言われます。
となると、許せない私は、愛していないのか?私の愛はほんものじゃないのか?いや、愛しているのに、なんで許せないのか?と、延々悩んでしまいます。
これまた、「許せない」自分を「許せなくて」苦しむ無限ループに入りますよね。
私個人は、ですが、「愛すること」と「許すこと」は別モノではないか?と思うのです。
愛すことは許すこと、愛があれば許せる、ってのは、宗教的な教えが背景にあるような気がします。
たぶんですが、キリスト教ではそう言っていたと思うし、仏教では慈悲の心が許しだったかと思います。(違っていたらすみません)
ということは、愛すること、と、許すこと、にすでにバイアスかかっていると思うし、愛することと、許すことは違うと思うのです。
でもこの両者がくっついていると、許しがないと愛を感じられなくなっちゃう・・・と言うことになります。
こういう風に違う言葉が、顕在意識的にも、潜在意識的にもくっついてしまっているのは、やっかいだと思うのです。
先ほど書いたように、「許す」の語源は「緩む」だそうです。
なのに、許せないと悩むのは、緩むどころか、ますます苦しくなる。
だから、
「許し」にとらわれている自分を解放する。
「許せない」と思ってる私を受け入れることが必要だと思うんです。
例えば、これどうでしょうか?
「どうせ私はパートナーを許せない人です」
「パートナーを許せない私を許します!」
と自分で自分にOKをしてみる。
これ、実際に言ってみると、マジで意外とスッキリだと思います。
「許し」という言葉すら「許せない」でいいじゃないですか?!
と考えると、ようやく「緩んで」きませんか?
悔しくて相手に感情をぶつけたくなりますが
そもそも、ですが。
彼・夫や彼女・妻に浮気された。
はらわたが煮えくり返るとはこのこと。
こんなに腹が立つことはありませんよね。
プライドがズタズタ。
わかります。
だから、相手にここぞとばかり、怒鳴ったり、いろいろ感情をぶつけてしまいます。
これ、誰もがやることなので、あなただけじゃないんですよ。
でもちょっとそこで立ち止まってみましょう。
あなたがそこまで怒り狂うのはなぜ?
怒りって感情のフタだと言いますが、その下にある感情は何?
悔しい、悲しい、辛い、
そして・・・・
もし、そこに「好きなのに」「本当は仲良くやっていきたいのに」という思いがあるのなら。
その本心を「怒り」や「怒りをぶつける」ことで隠すのはとてももったいないです。
すごくつらいのはわかります。つらいのはわかるけど。
でも2人の関係をまだなんとかしたいという思いがあるのなら。
怒りをぶつけ続けることから、ちょっと違うやり方に挑戦することもありだと思うのです。
それはどういうことかと言うと、先ほど書いた「緩む」ためにやることを、より主体的に取り組んでみるということです。
もしこの浮気が、2人が共同で作り出していたとしたら、なぜなのか?を、見つめると言うことです。
そ、そんな~私がさせたわけじゃないし、と思いますよね。
わかります。
わかりますが、でもここは、
私が半分責任持っているとしたら?で考えてみます。
これ、なぜかと言うと、相手を全面的に責めたり、相手のせいにしても、自分がやれることってナシなので延々と恨みつらみの世界にいることになるし、五寸釘を打つ作業が続いてしまいます。
それはちょっと辛いですよね。
それから、浮気をきっかけに自分を見つめるチャンスになります。
これは自分の悪いところを見つける作業じゃなくて、本来持っている魅力を隠しているから起きてしまったと言えることも多々あるのです。
でもここは自分一人では本当に大変というか難しい、と私は思っています。
なので、プロの手を借りた方がいいところです。
本当にNGなら、とっくに別れを選択している
もし、自分にとって、パートナーの浮気が、「パートナーシップの契約において絶対に許せないこと」なら、即、離婚(お別れ)を選択すると思います。
「絶対にNG!」というものは、人それぞれだし、程度も個人差があります。
が、あなたは別れていない。
ということは、少なくとも、今のあなたにとっては、別れる理由になっていないんですよね。
(いいかどうかは脇においておきましょう)
そりゃ、子供がいるから、とか、経済的、とか、現実的にはいろんな理由があるでしょう。でも、それをも超えて、別れる人は山のようにいます。
でもあなたにとっては、即・別れ!を選ぶほど、許せていない、わけではない、ということですよね?
許すなんて、自己肯定感低すぎるわ~とはやりの言葉を使えばそうかもしれません。
自己肯定感は高めた方がいいでしょうが、かといって高めたからと言って、相手を許すかどうかは、また選択の問題になります。
「許せない」と言いつつ、少なくとも別れを選んでいない現時点では、ですが、その分だけでも許してあげていると思うのです。
そんな自分ってエライ!な話だと思っていいのではないでしょうか?
相対的に、「許せない」サイズが小さくなるかもしれない
浮気されたことがショックだと思うのは、それぐらい相手のことを好き、愛しているからこそ。
だったら、この「好き!愛している!」を大切にしていく、という選択もありだと思います。
好きなんだから仕方ない・・・(と、本当に思えるなら)
なんだかんだ言っても、「好き」「愛している」を大切にしていった結果、「許せない」感情のサイズは小さく感じるかもしれません。
消えることはないかもですが。
もし、愛している<許せない
のように、「許せないサイズ」がどんどんでかくなって(あるいは「許せない」サイズはそのままで、「愛する」が小さくなっていく)
その時は、相手を許すのではなく、自分を緩ませるために、お別れする、という選択だってありえます。
私は、浮気された問題は、相手を「許す」「許せない」にこだわらずに、取り組んでいくことをお勧めしています。
まとめ
- 許せない気持ちをなんとかしようとしない。
- 許せないものは許せないでOK。ここにこだわらない
- 相手のことが好きでこの問題をなんとかしたいと思うのなら、なぜ浮気問題が起きたのか?仮に自分にも半分原因があるとして取り組んでみる。
- 結果として、許せているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
- 相手が浮気をやめるか、二人の関係がどうなるのか?それは取り組んでみてから。
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