なかなかハードな教育学部卒
私にしては珍しく子供・教育ネタです。
実は教育学部出身・教員免許持ちなんです。
私の出身大学は、その昔、
高等師範学校といわれたように
教師の養成が出発となって作られた学校のため、
教育学部がものすごく充実しています。
そんな旧 高等師範学校なので
教育の実験や臨床研究も兼ねて
幼稚園から高校まで付属校があります。
通常、教育実習は、自分の地元の出身校に帰ると思いますが、
付属校に行くことがほとんどだと思います。
が、付属校に行かなければなりません。
高校の教育実習は遠方にある付属校にいったのですが、
実習生用の寮まであるほどでした。
おまけに、私は中学・高校の免許しかとれない専攻なのに、
必ず小学校の実習にも行くことになっているのです。
免許とれない、のに。
しかも、この付属校、地元の超エリートばかりが集まり、超かしこいのです。
クラスの中に数人は偏差値測定不能がいるといわれました。
田舎の普通の学校を出て、
たまたま超ラッキーでこの大学に入った私としては
恐れ多いばかりの子どもたち。
でも、そんな小学校の教育実習は一生忘れられない経験になりました。
大切な姿勢を学ばせてもらった
その時の指導教官をしてくださった先生の言葉。
今でも私は忘れられないんですね。
この問題の答えがわかる人~!
と投げかけたとき。
手を挙げてくれる子が教師にとってはありがたい。
でも、手を挙げたくても挙げられない子もいる。
挙げるのがばかばかしいと思っている子もいる。
挙げない子の気持ちも尊重したいと私は思っている
と。
確かに私たちは小さいときから
「手を挙げましょう」
「発表しましょう」
といって挙手を求められる授業の連続だったように思います。
挙げない子=悪い子、ダメな子
そう思ってきました。
(これが、心理学でいうところの「判断」「裁き」)
実習とは言え、教師側に立つと、
手を挙げない子を見た時に、
ついイラっときたり、
あるいは、私の教え方がまずいせいかな?と責めたりもしました。
そんな私たち実習生の心の中を指導教官はわかっていたんですね。
先生の言葉。
実はとてもカウンセリング的な視点なのです。
どんな感情、思いも受け止める、大切にする。
→受容と共感。
こちらのいい悪いで判断しない。
理想や希望をおしつけない。
→ノージャッジ。
この大切な姿勢を学ばせてもらったのです。
実習生に向き合ってくれた
それにこんなこともおっしゃっていました。
この学校は付属校で超エリートばかりが集まっている。
でも進学する際には必ず試験があって、
数人は落ちて進学できない。
地元の公立や私立の学校に
行かないといけない子もいる。
だから、みんなずっと必死に勉強している。
学校が終わってから、塾に行って遅くまで勉強して
だから学校の授業は眠くて仕方ない。
それにこの付属校は優秀な子しかいないから、先生も楽。
でも君たちが実際に赴任する学校はこうはいかない。
だからこの学校での体験がそのまま現場だと思わないでほしい。
(実際、このギャップで自死を選んだ人もいます・・・)
僕はこの特別な環境である学校に限界を感じているので、近々退職する予定だ、と。
先生が内情や思いを教育実習生に吐露してくださったことが当時はものすごく新鮮でもあり、ショックでもありました。
実習生を尊重して、シビアな話をしてくださったのです。
私は実は、この時点で教員になるつもりは全くなく、教員免許状をとるためだけに、実習に行きました。
それでも精いっぱい、毎日大変ながらも必死だった実習期間で、
あんなに人生の中で充実した日々はなかったし、
学びの多い時期はなかった、と思います。
いまもあのときの先生の言葉が忘れられず、
そして今の仕事の中でも活きています。