この記事を書いた人
心理カウンセラー・コンサルタント 安田 未稀
18年以上活動しています。お客さまが、本当の自分=本質、魂とつながり、自分の中にある答えを見つけて自然な行動に導く個人セッションが好評
人を呪いたくなるほど憎む・腹が立つことってあると思います。そこまで呪う理由はなんでしょうか?また「呪い」には本当に効果があるのでしょうか?
憎いし不幸を願うけど・・・
例えば、だんなさんが浮気をして、離婚も考えている、と言う方がおられるとします。
超ムカつく!ひどい!
許せない!
死ねばいいっ!!
思います思います。
「法的に問題ないなら、殺してやりたい。」
うんうん、思います。
でも、
「離婚する気はないから、関係を修復したい」
とも思ったりします。
あれ?
殺したいけど、生かして結婚生活を継続するつもりって、なんだか矛盾してますよね?!
「あんな奴、病気か事故にあって苦しめばいい!」
ところがそうなると。
だんなは働けなくなって、生活にも看病にも困るのは私じゃん?
がーんっ、私まで大変なことになるじゃん!
これもダメだっ・・・
「あんな奴に罰を与えたい!」
だんなさんの立場からすると、「家庭を失う」ということが罰になる可能性ありますよね。
なので離婚してやったらいいのですが、これもダメ。
なぜなら、なんたって私には離婚したいとは思っていないようだ・・・
がーんっつ、これもダメだ。
憎んでも呪っても、最終的には私が困る話ばっかりじゃん!と言うことになります。
どうやら本当に望んでいるのは、相手に不幸な出来事が起きることでもなく、別のところにありそうです。
別れた人、関係者への恨みつらみ
また、こんなケースもあります。
既にパートナーと別れた方が、
- 俺をひどく傷つけた元カノを今でも恨んでいる
- さんざん苦労かけた元の夫を今でも許せない
- あんな奴、不幸になればいい!!死ねばいい
こう思うほど、別れたパートナーを恨んでいることってありますよね?
あるいは
- 好きな男性を別の女性に盗られた。その女性が憎い。
- 夫が他の女性と浮気をした。夫の浮気相手が許せない。
関係者を憎むこともあるでしょう。
自分の中に、激しい憎悪の感情がある時、ここまで人を悪く思う私って、ひどい人間かも~と思いたくもなるかもしれません。
でも、感情なので勝手に湧き出てくるものなので、仕方ないですよね。感情にはいいも悪いもないので、溢れてくる感情はそのまま受け止めてあげてください。
※かといって、当然ながらストーカーなどの犯罪行為はあってはならないことです。ここではあくまでも「呪いの感情」についてフォーカスしていきます。感情と行動は別物です。
また、
「人のだんなを奪った女性って、いつか災いがありますよね?」
「これだけ愛した俺を捨てて、他の男に走った女って、これからいいことなんてないですよね?」
って質問されることがあります。
これについては、ん-、わからない、というお答えになります。
ひどいことをした人間が、みな不幸になっているかというとそうでもなかったりします。
不倫して奥さんと別れて、不倫相手と再婚して幸せにやっている、なんて話は山ほどありますよね・・
糟糠の妻を捨てた男性が、若くてきれいな女性と再婚しちゃうとか・・・
※「糟糠の妻が捨てられる心理」について知りたい方はこんな記事もあります。よかったらどうぞ。
私が思うに、不幸、災難を願うのは、それが起きれば、自分の心がスッキリ晴れる!達成感が得られる!と思っているから、願っちゃうし、期待するのだと思います。
でも、仮に相手に災難が起きたとして、それで自分がスッキリするかと言うと、必ずしもそうとは言えないようです。
意外にも、一瞬やったー!と思ったあとにむなしさが襲ってくることもあるようです。
と言うことは、復讐達成、災難発生よりも、本当に自分が願っていることは「心の区切り、けじめ」なのだと思います。
自分を捨てた、他の人に走った、という事実は変わらないにせよ、そこで生まれた自分の感情をケアしたい、楽になりたいんですよね。
だから、恨みつらみが消えない、呪っている・・・と言うのは、助けを求める声だなと思うのです。
本当は、自分だって呪いの感情を胸であためておきたいわけじゃないし、災難が発生しようがしまいが、相手との間にシコリとして残っている恨みつらみの感情から楽になりたいんだと思います。
果たして、相手に災難は起きるのか?
ところで、呪ったら、実際に災難は起きるのでしょうか?
スピリチュアルなお話なので、信じるかどうかはご自由ですが、
「サイキックアタック」と言って、相手への嫉妬、憎悪などで攻撃のエネルギーを送っていることがあるそうです。
実際に、そのサイキックアタックで、命を落としたり、不幸な出来事があったとも聞きます。
でも表面的には病気、事故、事件なので、それが本当にサイキックアタックによるものだったのかどうかは、普通わからないと思います。(見る人が見ればわかるのかも?)
※余談~自分がサイキックアタックされている場合もあります。この場合は、このアタックされているエネルギーは、光(大いなる存在・神など)に返します。私も過去にこの技は習ったことがあります。でもアタックする技は習っていません(笑)
ただ、技は持っていなくても人は勝手に送ることができてしまいます。
日本語では「念」と呼ばれるものだと思います。
サイキックアタックをしていると、自分のエネルギーを自身の幸せと成長のために使っていないことになるので、エネルギーの持ち出し、浪費になってしまうので、自分が損しています。
それによって生じる不具合のことを、「呪いが自分に跳ね返ってきた」かのように見えるのだと思います。
しかも、仮に相手に呪いが届き、不幸になったとしても、既に別れたパートナーの人生は、その彼・彼女自身のものなので、残念ながら別れた私には全然関係ないんですよね。悲しいかな。
こっちが呪っていることを、別れたパートナーは、まーったく知りもしなければ、想像もしてないし、こっちのことをとっくに忘れちゃったりしてることも多々ありあります。
呪いのエネルギーをくらっても(無自覚に)跳ね返している人もいるでしょうし。
呪っても呪っても相手は、残念ながら、「勝手に」自分の人生を生きてます。
呪いの感情は自分の前進を止めている
ここまで見てきたように、どうやら「呪い」というのは使っているエネルギーに対してのリターンが少なそうです。
それでもなお、自分が相手を呪い続けることで、心が役に立っていることがあるとすれば。
「私にはまったく関係ない相手になった」「私のそばにはいない」という「喪失感」を感じなくて済んでいる
呪い続けている間は、心理的には相手を自分の傍らに置いておくことができますもんね。
それぐらい喪失の痛みが大きいということですよね。
それから、もう一つ呪いにメリットがあるとしたら。
自分を楽に、自分を幸せにすることを許していない
呪い続けることは、自分の生命力を自分が生きるために使っていません。
呪いは激しい感情ですが、先ほど書いたように、感情というエネルギーを、「苦しい感情を感じるため」に使っているとしたら、リソースの有効活用になっていません。
だから、多くの場合、恨みつらみ、呪い絶好調の時は、自分の幸せのために時間とエネルギーを集中して使うことができていない、と言うことになります。
呪い続けることで、実は自分を楽に、自分を幸せにすることを許していないんですよね。
私もさんざん呪ってきて、呪いの権化みたいになったこともありますが、同じように呪いの感情で苦しむ方に、今よりも楽になれるように、後押しさせていただきたいと思っています。
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