こんにちは。

今日は、またもや(学んできた)心理学を
自らひっくり返すことを書いてしまうかもです。

ま、いいや私のブログだ(笑)

「助けたい」を全否定しているわけではありません

最初にお伝えすると

誰かの役に立ちたい、
助けたい、
何かしてあげたい

という思いが
いけないものだというわけじゃないんです。

今日はこれを
パートナーシップとか
親しい関係性の中で
考え直してみようと思ったんですね。

例えば、
パートナーや親しい人が

仕事でトラブル抱えている

お金の問題がある

実家やきょうだいとうまくいっていない

などなど、
いろんな問題を抱えているとき。

とても大切な相手だからこそ

私たちは、

なんとかしてあげたい
助けたい

と思うわけです。

共に生きていきたい人だし。

結果が気になるかどうか?

純粋に、
単にお役に立ちたい、

だけではなく、

改善しないなら、
私が困る

と思う時点で、
これ、相手の問題を自分の問題にしちゃってるし、

他人軸じゃん?と思ってしまったのです。

極端ですが、相手が変わろうが変わらないが
自分はどっちでもいい、

なら、自分はその相手を
自分軸で選んでいると思うんですよね。

もちろんその相手を選び続けるかどうかは
変化することもあるでしょうが。

極端ですが、相手に変わってほしい、
問題を解決してほしいと思う時点で
勝手な話かもしれないのです。

「助けたい」の向こうにあるものを考えてみる

助けられる私ってすごい!
役に立った!という充実感

を感じたいなら
これって自己価値を感じるために
他人を使うということになりますよね。

となると、

相手が問題を持っていないと
私は困るー!

ってことにもなります。

あるいは、そもそも、

相手は助けを本当に求めているんでしょうかね?

自覚のない無意識の話ですが、
相手は、
問題で人との関係性を作ろう
としているのかもしれないし。

何が言いたいのか
自分でもグルグルになってきましたが、

もし、

助けたい!がライトな感覚でできることではないのなら。

助けた相手の、その後の結果が気になるなら。

相手の結果が期待通り出なかったとき、自分に価値がないと思うようならば。

その「助けたい」は、
既に「他人軸」なのかもしれません。

もちろん、すべての問題を
こう捉えられるものではないと思います。


現実、助けないと、自分が困る問題だって
いっぱいあるでしょうし。

「助ける」って
すごいいいことのように感じる言葉だし、
それの何が悪いの?って言葉だし、

「助ける」
を否定するようなことも憚られるし。

でも、その「助けたい」を
ちょっと見つめなおす視点を
持つのもありかなと思って書いてみました。

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