やりたいことを見つけたいなら、先に自分を縛っている制限を緩めたほうがいい

こんにちは。

風の時代に入り、
やりたいことをやろう、
と言われることがさらに増える時代になったように思います。

でも、やりたいことって言われても?!って思いませんか?

やりたいこと思いつかない!

ですよね?

もし、思いついているなら、とっくにその実現に向けて動くこともするだろうし。

さて、こういう場合どうしたらいいんでしょうか?

現状、何も思いつかない状態でなんとか見つけようと思ってもとても難しいです。

ザ・現状という枠組みのなかで考えているからなんです。

なので、やりたいことをみたいことを今の場所で探していても出てきません。

今まで見えていなかった違う景色を見る必要があります。

例えば、
親の期待に応えなければならないと思い込みがあるとします。
それが本人にとって心地いいものなら、何の問題になりません。

親の期待するような選択をしてその通りの人生になっているなら、
何のストレスもないし、喜びにもなるし、おそらく、やりたいことが見つからないという悩みもないでしょうし、
「制限」ではありませんよね。

そうそう、少し補足すると、
よく「親の期待に応えようとすることは、親の言いなりで自分の人生を生きていない」
と言われることがありますよね?

私はこれこそがありがちな思い込みで、ジャッジメントだと思っています。

親の期待に応えることが、本人にとっての生きがいだったり、心からやりたいことで、ストレスがないのだったら、なんの問題にもならないからです。

例えば、世襲の大企業の社長さんのご子息だったら、親の期待どころか世間の期待を背負って生まれ育ってきているわけで、それが当然だと思って生きている人もいますし。

話は戻します。

本人の中で、実は大きな制限になっている場合が問題です。

親の期待に応える世界、という土俵上でのみ、
やりたいことを見つけようとします。
大前提として自動的に親の期待に沿えるものを探すことになります。

親の期待に沿えるかどうかわからない世界を描けないし、
仮に描けたとしてもそれをやりたいこととして認識し選ぶことすら、
自動的にNGを出しているかもしれません。

その状態が「やりたいことが見つからない」の具体的な状態を表している可能性もあります。

ですから、「親の期待に応えなければならない」という制限を先に外す方がいいんです。

違う世界を見たければ、今の世界から動けない足かせを外す。

それが制限を外すということ。

新しい世界を見たら、新しい発見があり、そこに自分がやりたいことや、その原石が見つかる可能性はあります。

今の立ち位置では、本当にやりたいことは見つからなくて当然なんです。