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正しさの追求には安らぎがない

こんにちは!

本日は、父の入院先の看護師さんを例に。

 

メインに担当してくださっている方ではない方が

本日の担当。

 

父は、この世代の人としては背が大きくて175cm。

ベッドの頭を少しあげていることもあって

足がマットレスの長さを少し超えてしまう。

そこで、いつも担当してくださっている
看護師さんたちが、
工夫して
枕を足元において、
足が楽におけるようにしてくれていたんですね。

父は、自宅で使っている枕を使用しているので
備え付けの枕を転用しているだけなんだけど・・・

 

今日の看護師さんは、

「こんなところに枕がある!枕は足を置くものではないので」

と外してしまった。

 

しばらくして父が

「俺はそこにないと困る!」

と言ったところ

枕ではないものをと、

腰や床ずれ防止に使うクッションのようなものを置いてくれた。

 

これ、行動だけ見ると、

この看護師さんが間違ったことをしているわけではないし、

まっとうなんですよ。

そりゃ、枕は足を載せるものじゃない。

 

だけど、

 

そもそも身動きが自由にできない父が

枕を足元におくわけがないのに、

なぜ枕があるのか?

父の背の高さや足の位置をみれば、

枕がどんな機能を果たしていたのか?

 

それを総合的に考えたら、

「枕は足元におくものではない」

からといって、

ただちにはずしてしまうという行為にならないと思ったのです。

 

これ、「正しさ」にこだわると、相手を見ていない

ということが起きる、という例。

 

「正しさ」にこだわって、果たして父が快適になったかというとなってない。

しんどいのに声を振り絞って、ないと困る!と叫んだ。

 

実は、この看護師さんは他にもいくつか、正しさにこだわった判断があったのだけど、

もう1つ書くと

父に。

「安田さん、リハビリがんばりましょうね。最後はおうちに帰る、と私たちは思っていますので」

 

この「最後」

という言葉。

「最期」とも書けるが・・・。

 

入院のラストの目標は、退院&帰宅だから、間違ってはいない。

もちろん、リハビリがんばるのが、死んで帰るという意味じゃないのもわかる。

 

けど、父の病名や状態を知っている立場として

この言葉は不用意だなぁと思って聞いてた。

 

悪気はないのはわかっているけど、

正しさへのこだわりが強い人なんだなぁと思った。

これを手放せば、すごくいい看護師さんなのに!

 

もう1つ言うと(私、愚痴や不満書いてるな・・・)

一生懸命で明るくて元気。

けど、

「元気すぎるのも病人には疲れるよね」

と父に言うと

「うん」

と言った。

そうなんです。

弱っている人には、

元気すぎるエネルギーは活力ではなく、衝撃になってしまうんだなぁ。

いや、それがナチュラルならそうはならないかもしれない。

 

彼女の中には、やはり

「明るく振る舞い、励ますことがいいことだ」

という正しさがあるせいなのかもしれない。

 

あぁ。看護師さんって本当に難しい仕事だなぁ。

もちろん、いっぱい感謝してるんですよー

 

患者家族ってこんな風に対応の1つ1つに敏感になるのかもしれないけど。

 

 

この看護師さんのことを通して

対人援護職にある私も、

自分を再度戒めるのであった。

 

あなたも、自分の中にある正しさ、ルールにこだわっているところ、ないですか??

それで本当に幸せ、安らぎ、快適さは手に入れられている??