問題を作り出している原因・制限をはずし、心から望む人生にしませんか?

「あなたのためにしてあげた」ことだとしても、「私が」そうしたいから、そうした。

こんにちは!

先日から書いている「気遣い」について今日も書きます。

前回までのおさらい

私たちは、
大切な人のために、
何かをしてあげたいと思います。

喜ばせてあげたい
励ましてあげたい
楽しませてあげたい
支えになってあげたい

など。

でも、本当に相手が望んでいることなのか?

確認せず、自分だけで
決めてしまうのは
実は身勝手で、相手不在、と書きました。

「してあげる」の弊害

かといって、
相手の意向を確認しなければ
何もしてはいけない、というわけでもないと思います。

純粋に、相手のためを思ってしてあげることってありますよね。

ところが、どうもこの
「してあげる」「してあげた
という言葉がポロリと出てくるようなことって、
やった後に、アダになることがあるんですよねぇ。
残念ながら。

相手には、
気遣いの押し付けに思われることがあるようなんです。

オーバーな表現をすると

「あなたのために、してあげた以上は、その通りにしろ!」

的に。

期待やコントロールに感じることもあるらしいのです。

 

してあげた方はそんなこと思ってないのにね。

 

「あげたい」よりは「したい」

もし、

「してあげたい
と思ったことが動機だとしても、

最終的には、
私がしたいと思って
私が選んだことだ。

相手が私の気持ちを受け取るかどうかは関係ない
(と、期待を手放した状態)

と思えるような「与え方」がいいかなと思うのです。


だって私が(その時は)したかったことだから。

いったん認める
ということです。

 

期待は、持ったら手放し手放し・・・

そうは言っても、
やっぱり人間なんで、
期待ってしちゃう。

受け取ってくれたらいいのにー
わかってくれたらいいのにー。

と。

そんな思いが出たら、都度、手放し、でいいんじゃないかなと思います。