こんにちは。

父のことをここ最近ずっと書いています。

(もちろん寂しいけど)寂しいからというよりも、
いっぱいいろんなことがあったので、書いてしまうという感じです。

今日も「生前」の話をします。

父が息を引き取る直前のこと。

私は父はまだまだ生きると(かなり能天気に)思っていたのですが、
現実的な妹は「今晩が峠だ」と思って、
早めに風呂に入り、徹夜に備えたんです。

風呂に入っている間、そばにいてやってというので、私は父のそばにいました。

すると、不思議な動きを始めたのです。

長い爪が嫌いなので、爪をよく触る癖があったのですが、
爪の長いところがないか、もぞもぞ触る。

そのあと、仏様の手(両手を組む)をした後、

相撲で、力士が賞金を受け取るときのしぐさありますよね?

あれ、手刀(てがたな)というそうです。

いつも父は、ご飯を食べ終わるとき、

「ごちそうさま、もう終わり」の意で、あの動作をするのが癖だったのですが、

寝ながら突然それをやりはじめたんですね。

なんで、これやるんだろうって思ってみてたら。

一瞬、ものすごい苦しいゆがんだ顔をしたのです。

 

その顔はまさに断末魔の苦しみの顔であり、死相かも?

これは死んじゃうのかな??と思いました。

 

そのあと、呼吸が変わり、

ちょうどそこに、妹が風呂からあがってきて、どう?と聞くので、

「なんかおかしいかも?死んじゃうのかも?」

そのあと、あわてて、訪問看護師さんに電話して

呼吸の状態を話したら

「あ、それはもう。(臨終が近い)」とのこと。

「救急車呼んだ方がいいですか?」と尋ねたら、
「いや、もう呼ばなくてこのままで自宅の方が」との言葉が。

妹はあわてて、自分の夫、娘を呼び、
遠方にいる妹とはLINEのビデオ通話でつながり。

「じいちゃん!がんばれ!」

母は、「(父の名)さん、がんばれ!」と声をかけ、父の顔を抱きしめ。

 

やがて呼吸が弱くなり。

「じいちゃん、ありがとう」

そう声をかけ続けていたら、

やがて息が止まりました。

文字通り、息を引き取りました。

 

結局、父の「手刀」、
それは
「もう人生おしまい」の儀式
だったようなのです。

 

自分の人生を自分でもうおしまい、と宣言できることってなかなかないんじゃないかな。

 

偶然の動作で、意図的にやったわけではないのかもしれないけど、

これはすごいことだと思ったのです。

 

生前=仏になる前の、人間としての時代に、自分で終わりを告げる。

 

偶然だとしても、それができた「生前」はすごすぎる。

ただただそう思うのです。

 

妹は、その日午後からずっと父のそばにいたのに、
たった10分間風呂に入ったことを後悔しています。

私は私で、あの断末魔の形相をみたことが少しトラウマ的になっていますが。

たった10分、妹の代わりにそばにいただけの私が本当の最期を体験してしまった。

 

この体験からも、私の人生は「死」を看取ることから離れられないと思いました。

明日はこの続きを書いてみたいと思います。

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