問題を作り出している原因・制限をはずし、心から望む人生にしませんか?

実は、相手不在で、自己完結している「気遣い」

こんにちは!

続きです。

相手に「気遣い」をしているつもりが
実は「気遣い」をしていない、というお話です。

勝手な判断をしているので実は
相手不在になってしまっています。

実は、相手と関わっていない

自立と言えば自立ですが、
「孤立」ですよね。

こんな私
って思ってるから、

相手の意志を確認しない。

相手の存在をあてにしていない

相手を信頼していない

実は人と関わっていない

自分の人生に、他者を入れさせない

あら、もうーって感じです。

 

「気遣い」がアダになる

結果として何が起きるかというと。

その「気遣い」が
実は相手が
欲しかったものと違っているときに、無駄なトラブルが起きます。

例えば、相手は、
「本当にしてほしかったことは、話を聞いてくれることだったのに!」

なんだけど、
こっちは
「なにもせずそっとしておくのがいいと思っていたのが、私なりの気遣いだったのに!」

と、齟齬が生まれます。

自分勝手な判断はしたけれども、
少なくとも相手のためにと思う気持ちが皆無だったわけじゃない。
相手のことを大切に思う気持ちはある

だからこそ更に厄介になります。

相手は、
「本当にしてほしかったことはそれじゃないけど、
気を遣ってくれているのはわかるから、
NOと言うのも悪い。
気遣いを受け入れていない自分が悪い。」
と、罪悪感まで持たせてしまうことにも。

ちょっと話がそれますが、

昔、事件か震災の被害者ご遺族だったかな?

はっきり覚えていませんが、
何かのインタビューで答えているのを読んだのですが、

がんばってね、とか、気持ちを切り替えてね、
元気出してね、
と気持ちはうれしいが、嫌だった。

一緒に泣かれる(同情)も嫌だった。

そんな時、いちばんうれしかったのが
「何かできることあったら言ってね」
だった,

と。

本当の気遣いは、「自分」の「勝手な」気持ちの押し付けではなく、
あくまで「相手」が主人公にあることなのかどうか?

という例だと思います。

最初の段階で、没交渉が問題

本当は互いに相手に関心があるのに、

最初の段階で、自己完結、没交渉していることが問題なんですよね。

相手不在の勝手な気遣いって、相手と自分との間に、何か壁をはさんでいるようなもの。

実は親密感を感じられないし、信頼感も感じにくくなっちゃう。

「気遣い」って悪いことではないけれども、
その「気遣い」って

本当に相手が求めているものかどうなのか?
独りよがりじゃないのか?

相手に訊いてみる。
訊かれた本人は、自分の気持ち・意志を伝える。

これをするしかないなーって思います。