問題を作り出している原因・制限をはずし、心から望む人生にしませんか?
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「与える」「癒着」「境界線」「ニーズ」について、事例で考えてみる。

つい最近あった話をご紹介。

母の知り合いがやってきて、母にこう言いました。

「お宅のお孫さん、部活でがんばってますよね。
ぜひこのDVDで勉強して、もっとうまくなってもらいたいと思って持ってきました。
観てもらったら、また引き取りにきますので連絡ください」

とDVD、連絡先として携帯電話の番号を置いていかれました。

孫というのは、私にとっての姪、ですが、
そのDVDの中身とは何か?
というと、姪っ子がまったく興味を持ちそうにない中身。

しかも、姪っ子宅には、
そのDVDを再生できるプレーヤーがないので、観れないのです。

私は、
「なんかおかしくない?
さしあげるので、あとは好きにしてください、ならまだしも。
観たら返してほしいので連絡ください
って。
こっちが電話代払い、引き取りにきてもらうのに手間をかけるって、
おかしくない?」
って母に言いました。

実際、姪っ子とその母である妹に確認しても
「そんなのいらない、観れないし」
と返事が。

で、返送しました。
まぁそれでもうちの母は「お礼はつけたい」というので、
ちょっとしたものを添えて。

もちろん、この知人の
「人のために何かをしてあげたい」という気持ちが悪いわけではないと思います。
が、このやり方では、「受け取れない」んですよね。

まず。

「私がこれをすばらしいと思っているので、きっと周りもすばらしいに思うに違いない。」

と、自分と他人との感情に境界線を引けていないのです。
「相手は必要としているかどうか?」
相手の感情への配慮がないんですよね。

一方、巻き込まれっぱなしだった母にも、
違う対処の仕方があったはず。

「私ではわからないので、お預かりできません。聞いておきます」
「大事なものをお預かりする責任を持てないので」
とお断りしてもよかったのです。
これ、日本人が超ニガテなんだと思いますけどね。。。

もう一つ問題なのは、この知人が
「ただただ与えているわけではない」ということ。

なぜかこっちが必要かどうか姪っ子に確認し、
そして返却のために時間と手間をかける。
こっちの手を煩わせるという条件つきで、与えているわけです。
(なので、本当の意味で「与える」になっていないのですが)

「コレがすばらしいという私の気持ちを受け取って!わかって!(というニーズ)」
「あなたが返却に手間をかけてね。(というニーズ)」
これらがくっついているため、
この方の
「役に立ちたい」気持ちが、
我が家は「まったく受け取れません」
になっちゃったんです。
残念ながら。

よく、心理学講座に

「癒着」
「境界線」
「与えること」
「ニーズ」
という言葉が出てきますが、
それを考えさせる出来事でした。

私の愚痴っぽくなってすみませんっっ。
私もこの一件に巻き込まれたのではなく、
結局、自ら手を出したわけですよ。
収束に向けて。
こうしていつも「お仕事」をやっちゃうわけです、あたし。