問題を作り出している原因・制限をはずし、心から望む人生にしませんか?

「子宮」で女子を語るのがはやっているけど。

世の中、「子宮」で女子を語る、のがはやっている気がします。

女は子宮でモノを考える みたいなコトバがあるし。

これってどういうたとえ何でしょうね?
子宮=女の象徴なんでしょうね。

となると、病気や生まれつき等なんらかの理由で
子宮がない、(人によっては、卵巣がない、乳房がない・・・等)
なら女じゃないんでしょうかね?

子宮を使ってない=子どもを授かり育てた経験がないと
これまた女じゃないんでしょうかね?

セックスしたことがないなら、女として魅力がないんでしょうかね?

わたしは、ぜーんぶ違うって思ってます。

確かに生物学的に「女」を象徴するもの(男には持ってないもの)
を、「持ってない」とか「使ってない」と言われたら、
そんな気分にもなります。

私だって、子宮の摘出手術をするかどうか悩んだとき、
女じゃなくなるって思いましたから。

あ、ちょっと話がそれますが、
「病気になって、いろんなことが得られた。病気に感謝。ありがとう」
というフレーズをおっしゃる方がおられます。
その方々も最初は同じだったのかもしれませんが、
私の場合は、
「病気から学びがあるとでも思わないとやってられないぜ」
からスタートです。

だって、
「じゃあ病気になった人生と、ならなかった人生と
どっちがいいですか?」
って聞かれたら、
ならなかった方がよかったに決まってるじゃん。

「病気になっても学びたかったことですか?」
と聞かれたら、
いいや、そこまで・・・
できれば別の方法で学びたかったです、
って思います。

なってしまったものはしょうがない。
だとしたら。
そこから、気づきを得ようした、だけのことなんですよ。

なので、私個人は、ガンや子宮摘出で
よかったなんて、まーったく思ってません。

でも、ちょっと不思議なことを書きますと、
子宮がなくなってからの方が、人間として、女性として自由になったところもあります。

肉体っていう塊りに、
女性であるというアインデンティを求めなくてよくなった、という意味で
自由になったというだけのことですけどね。
肉体以外のところで(心、スピリチュアリティ、生き方全般・・・・)
で求めていくことになったというか。

もちろん、子宮など、女性器を入口にして女性としての
自分を考える・高めていくアプローチはありだと思いますよ~

身体と心はつながってるから、
心からでもOK
身体からでもOKなんだと思いますよ。

ただ、とらわれすぎてもどうなんだろう?
とも思ったりもしたのでした。