「愛すること」と「許すこと」は同じなのか?
「愛とは許すこと」という定義もあったりするし、そういう本もあるのですが。
私個人は、「愛すること」と「許すこと」は別モノでいいんじゃないか?と思うのです。
私が心理学を学んだ師匠によると、許すの語源は緩むだそうです。
(ゆえに、師匠は体形緩みっぱなし→この御仁)
許せなくて悩んでいる人は
どっかで相手のことが好き、愛している、がゆえに許せなくて苦しいのだと思うのです。
でも、これ、「愛する」と「許す」がくっついているから、苦悶します。
だから、あえて、切り分けてもいいんじゃないかと。
相対的に、「許せない」サイズが小さくなればいい
好き!愛している!を選び続けた結果として、
相対的に
「許せない」が小さくなったらよしとしませんか?
つまり、「許せない」思いのサイズは変えようとしなくてもいい。
「愛している」がでっかくなれば、「許せない」サイズは小さくなったように感じる、ということです。
自分のネガティブ感情は否定しない。
これ、すごく大事です。
そして、どうしても
愛する<許せない で
「許せないサイズ」がどんどんでかくなって
(「許せない」サイズはそのままで、「愛する」が小さくなっていく場合も含め)
その時は、
相手を許すのではなく、自分を緩ませるために、
お別れする、という選択だってありえます。